千代田区 御茶ノ水 神田 小川町の心療内科・精神科 駿河台こころのクリニック ♪ KISS来日 ♪

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♪ KISS来日 ♪

駿河台こころのクリニックのブログ

♪ KISS来日 ♪

2015年02月23日

こんにちは。

KISSが来日しました。

これまで、何度かブログに書きましたが、KISSには深い思い入れがあります。

中学時代、ロックの師匠に教わって以来、勉強部屋にKISSのポスターを貼り、爆音で聴いていると、「こんなのばかり聴いて」と母親に叱られたものです。
ながら勉強はダメと言われますが、多分にもれず、私もラジオの深夜放送やKISSを聴きながら勉強をするようになってから、学校の成績がどんどん悪くなりました。
高校に入り、貯めたお年玉でエレキギターを買いました。目に★のマークのメンバーPaul Stanleyモデルです。Ibanez社製がオリジナルですが、安いGreco社のコピーです。独学でギターをマスターする人がいますが、音楽的才能に恵まれず、すぐに投げ出してしまいました。

KISSは、1974年アルバムKISS(邦題:「地獄からの使者」)でレコードデビューしました。このあと「地獄」シリーズはしばらく続きます。独特のメイクは、歌舞伎の隈取からヒントを得たようです。

最初はヒット曲に恵まれませんでしたが、1976年の通算5枚目のアルバムDestroyer(邦題:「地獄の軍団」)からのシングルDetroit Rock Cityが大ヒット。鉄鋼の町デトロイトから火が付きました。ちなみに、この曲名は松山ケンイチ主演の邦画「デトロイト・メタル・シティ」のタイトルの元ネタです。この映画には、ベースのGene Simmonsも出演していました。

♬Destroyer(邦題:「地獄の軍団」)(1976)♬
♬Destroyer(邦題:「地獄の軍団」)(1976)♬

当時は、今のようにYoutubeなどないので、ラジオでオンエアされるかどうかがヒットの鍵を握っていました。
Detroit Rock CityのシングルレコードのB面は、ドラムのPeter Crissが歌うバラードBethが収録されています。ある時、ラジオのDJがA面とB面を間違えて流した後、問い合わせが殺到。BethがKISSの歴代の曲で最大のヒットとなりました。以来、コンサートで、Peter Crissがステージの前に出てきて歌うというのが定番となりました。

ステージの定番と言えば、Gene Simmonsが、火を噴き、血を吐いた後に空を飛び、見えを切る。Paul Stanleyが特設ステージまで飛ぶ。昔は、Ace Frehleyのギターから火が出るというのもありました。ちなみに、2年前の来日公演では、ドラムのEric Singerがバズーカ砲(もちろん本物ではありません)を撃っていました。

☆日本武道館(2013)☆
☆日本武道館(2013)☆

メンバー4人がそれぞれソロアルバムを発表した後、1979年にDynasty(邦題:「地獄からの脱出」)を発表。当時、ディスコブームで、Donna Summerなどが大人気でした。「俺達だってディスコで勝負できる」(主典:Music Life)と意気込み、I was made for lovin'(邦題:「ラヴィン・ユー・ベイビー」)を大ヒットさせました。今でも、いろいろなアーティストにカバーされています。

♬Dynasty(邦題:「地獄からの脱出」)(1979)♬
♬Dynasty(邦題:「地獄からの脱出」)(1979)♬

全盛期の1970年代には、アメリカでコミック本になったりするなど国民的人気バンドでした。しかし、パフォーマンスばかりで演奏が下手、など酷評もたくさんありました。私の高校では、KISS、Queen、Aerosmithが3大人気バンドで、Queenが好きな同級生には、「KISSが好きだなんて、音楽が分かってないな」などと言われたものです。
音楽は、自分が好きなものを聴けばよいし、ライブが大好きな人、ヘッドホンで一人静かに聴く人などそれぞれです。

・・・が、KISSはライブパフォーマンスを楽しむべきでしょう。
KISSのコンサートに行くと、おじさん、おばさんがロックTシャツを着て飛び跳ねています。みなさんもいかがでしょう。

3月3日の東京ドーム公演は、ももクロもゲスト出演するそうです。

ももクロファンには負けない・・・

☆背伸び☆
☆背伸び☆

「これでいいのだ」

2015年02月21日

こんばんは。

「いったい自分は人からどう見られているのか。どう評価されているのか。」がとても気になる方がおられます。自分の来ている洋服、話したこと、表情・・・いろんなことが、相手に対して不快感を与えているのではないかと気になってしまうようです。意識しすぎることで、不自然になったり、逆にそれが本当に失礼な対応になっていたりということもあるでしょう。人目が気になることと、自分に自信が持てないはとても近いところにあると思います。

最近、「褒めて育てる」ということをよく耳にします。 「三つ子の魂百まで」と言われるくらいですから、親との関わりはこころの成長にとても大きな影響を及ぼします。
幼い頃に、親から褒められた経験が少ないと、自分を評価する力が育たないと言われます。また、良い成績を残した時しか評価されないと、自分がどの程度頑張れば認めてもらえるのかが分からず、分かりやすい評価の基準となる肩書き、出世することにこだわるようになるとも言われています。

自分自身を認めること、褒めることはとても大切です。

それから、人の評価は果たして公平で妥当なものかどうかも考えてみてください。良い部分だけじゃなく、悪いところもしっかり指摘してくれる無二の親友ならともかく。職場など利害関係があるような相手だと、先ほどのように出世をするために周囲をライバル視し、不当な評価を与えることもあるでしょう。また、そのような人は、自分以外の人を褒めるようなことも少ないでしょう。十人十色と言いますから、趣味、好みの違いまで加わると、なおさら好評であることの方が難しいかも知れません。
そのように考えると、人から評価を受ける、あるいは受け続けることは、とても困難で、一貫性がなく、あまり意味がないように思います。

また、人の目線が気になるという人もいるでしょう。電車で向かいに座っているカップルが何となく自分のことをみているようだ、クスッと笑ったかもしれない・・・
もし、そう思うことがあれば、勇気を出してその人をしっかり見てみてください。ほとんどの場合、自分のことなど見ていませんから。自分が、とても人気のある芸能人でもない限り、人は思っているほど人のことなど見ていません。

たとえ、他人の評価が悪かったとしても、自分で自分はよく頑張っている、この調子でよいと思うことができたら、とても平和でいられると思います。仕事の成績が悪く、上司に叱られたとしても、できるだけのことをしたのならそれでよいと思います。

「これでいいのだ」
天才バカボンのパパの名セリフです。

そう言えるような人生だといいなと思います・・・

☆褒めるとすぐお調子者になります☆
☆褒めるとすぐお調子者になります☆

泣きのギター♪

2015年02月19日

こんにちは。

ここでまた、少し息抜きです。

中学時代、ロックの師匠からKISS、Deep Purpleについて指導を賜ったロック少年は、高校でまた別の師匠に出会いました。彼から毎日のようにレコードを貸してもらいました。Black Sabbath、Boston、Rainbow・・・そしてFreeです。

1960代は、The Beatlesに始まり、多くのロックバンドが誕生したロック史にとってとても重要な時代です。特に後半には、プログレッシブ・ロック、サイケデリック・ロック、ブルース・ロック、そして実験的な試みも含めてさまざまなロックのスタイルが生まれました。

当時イギリスでは、ブルースなどアメリカの黒人音楽への憧れと崇拝の機運が高まり、それに合わせるようにEddie Boyd、Champion Jack Dupreeなど多くのブルース・マンが渡英、イギリスのミュージシャンと共演しました。そして、たくさんのブルース・ロックバンドが誕生しました。Freeもその中の1つです。

Freeは、平均年齢20歳の4人メンバーで1969年にデビュー。1971年、72年には来日し、当時日本でも人気があったバンドです。ボーカルのPaul Rodgersは、とてもソウルフルでロック界最高のボーカリストの一人と言われています。Free解散後は、ドラムのSimon KirkeとともにBad Companyを結成、その後Freddie Mercuryの後釜としてQueenにも参加しています。

ロック少年は、Freeの特にギターのPaul Kossoffに惚れ込んでしまいました。 速弾きではなく、むしろ音数は少ない。リズム感はあまり良くなく、上手いか下手かというと多分下手なんでしょう。しかし、まるで魂の叫びのようにギターが泣いています。Freddie Kingばりにチョーキングとビブラート奏法を多用します。ビブラート奏法は、ギターの神様Eric Claptonが教わりに来たほどです。

泣きのギターで分かりやすい曲は、昨年のソチオリンピックで羽生結弦選手がプログラムで用いたGary Mooreの「パリの散歩道」です。キュイーンという長いチョーキングを聴くことができます。

Freeは、7枚のアルバムを残し、3枚目のFire and Waterがイギリスチャート2位を記録するも、Paul Kossoffの薬物問題などで3年で解散しました。

☆ Fire and Water / Free (1970) ☆
☆ Fire and Water / Free (1970) ☆

諸説ありますが、あれだけ個性的で魅力的な演奏ができたにもかかわらず、同時期に活躍していたPeter GreenやEric Claptonと比較し、自信を失い薬物の量が増えていったようです。また、ヒットした3枚目のあと、渾身の4枚目が不評であったことも原因とされています。1、2枚目はブルースを基調としたゴリゴリしたアルバムでしたが、3枚目以降、ヒットを意識したアメリカン・ロックに次第に変わり、ブルースギターの出番が少なくなっていきました。

そして、 追い打ちをかけるようにFreeが解散し、さらにヘロインなどの薬物にのめり込んでいきました。”きめた”状態でステージにあがったり、ライブがキャンセルになったりを繰り返していました。そんな中、1973年にソロアルバムBack Street Crawlerを発表します。当時のガールフレンドが撮った写真が表紙になっています。

☆ Back Street Crawler / Paul Kossoff (1973) ☆
☆ Back Street Crawler / Paul Kossoff (1973) ☆

1975年に、再起をかけてソロアルバムと同名のバンドBack Street Crawlerを結成します。しかし、薬物の問題は深刻で、同年には心停止となり入院治療を受けています。奇跡的に復帰するも、1976年3月、飛行機の中で急逝しました。25歳でした。

既に録音を終え、同年発表予定であった最後のアルバム2nd Streetの裏表紙には「Dedicated to Koss」(Paul Kossoffに捧げる)と書かれています。最後の収録曲Leaves in the windは泣きのギター全開です。実際のライブをみてみたかったなと思います。

Freeを知って30年以上になりますが、今だに飽きることなく聴いています。 今では、イギリス在住のFreeファンとも友達になり、日本の音楽雑誌を送ったり、CDを送ってもらったりしています。

生前彼が、自分の音楽が後世でどのような評価を受けるのかなど知る由もなかったでしょうが、The Beatlesにしても世代を超えて、しかもいろいろな国で聴き続けられているなんてすごいことです。

ほんと、音楽っていいですね・・・

☆新しいお友達と遊んでいます☆
☆新しいお友達と遊んでいます☆