スピリチュアルケアについて(3)
2015年05月29日
こんにちは。
今回は、スピリチュアルケアの続きです。
前々回、3つのスピリチュアルペインについてお話ししました。
(1)時間存在:将来を失うことからくる、生きることの無意味さ、目的が持てないこと。
(2)関係存在:人から認められたり、人に何かしてあげることで保たれていた自尊心や自分の役割が、他者との関係を失うことで、失われてしまうこと。
(3)自律存在:自分で食事をしたりトイレに行けない、人の世話にならなければならないのなら、生きていても仕方ないと感じること。
この3つの苦痛に対するケアについてみてみます。
死を迎えることで、自分の時間が途切れてしまう、将来がないことに対するケアです。
本当に難しいことです。
再生医療などが発展し不死身の身体を手に入れる以外に不可能な気もします。
でも何かできることを探すしかありません。
1つは、宗教的な考え方です。特別、○○教が良い、敬虔な信者になりましょうというものではありません。
「天国に行けば、あの人に会える」「そこでまた、楽しく過ごしたい・・・」
とても自然な気持ちだと思います。
不幸に見舞われると「神様なんていない」と思ったり、「なんでも自分の力で切り抜けてきた」と自信満々に生きてきた人も、こんな希望をもって安らかな最期を迎えられたらと思います。
「天国から、家族のことを見守っているから」「自分のことを忘れないでいて欲しい・・・」
これは、次にお話しする関係性にも関わることだと思います。
かつて、残りの時間を「形見分け」に費やそうとした方を受け持ちました。おそらく、このような気持ちとせめてもの恩返しという気持だったのでしょう。
「やり残したことがある、やり遂げるのには後1年はかかる」
目標を長期的なものから1週間、1日と短くしてはどうでしょうか。
死を迎えることで、人との関係が途切れてしまうことの辛さです。
死を迎えるにあたり、孤独感、悲しみのあまり「自分の人生は何も良いことがなかった」と全てを否定的に感じてしまうことがあります。
しかし、人それぞれに、楽しい生活、素敵な人との出会い、一生懸命に打ち込んだ仕事などがあったはずです。学生時代、社会人になってから、結婚してから、退職してから、時間を区切って、頑張ったこと、楽しかったこと、嬉しかったことをいろいろ思い出してみてください。
「思い出話に花を咲かせる」ことで、いろんなことに気がつくでしょう。
自分で自分のことができなくなることからくる辛さです。
「毎日の散歩が楽しみだったのに、歩けなくなって・・・」
歩けないのは辛いですが、杖や車椅子を使ってでも外の空気を吸ってみるのはどうでしょう。
「人の世話になってばかりで、何もしてあげられない」
何かをしなくても、そこにいるだけで誰かの支えになることができます。
これは、ご本人ご家族、お互いに当てはまることだと思います。
3つのスピリチュアルペインに対するケアの概略をお話ししました。
誰かに何かをしてあげる、助けになろうとすることは難しいことです。
ケアの目標をたてる時に、それが本当にその人の望むことなのか、実はそうすることで自己満足や自分の安心感を得るだけになっていないかを見極める必要があります。
明日はちょうど「あの世でもう一度あいたい」と思う人の命日でした・・・