泣きのギター♪
2015年02月19日
こんにちは。
ここでまた、少し息抜きです。
中学時代、ロックの師匠からKISS、Deep Purpleについて指導を賜ったロック少年は、高校でまた別の師匠に出会いました。彼から毎日のようにレコードを貸してもらいました。Black Sabbath、Boston、Rainbow・・・そしてFreeです。
1960代は、The Beatlesに始まり、多くのロックバンドが誕生したロック史にとってとても重要な時代です。特に後半には、プログレッシブ・ロック、サイケデリック・ロック、ブルース・ロック、そして実験的な試みも含めてさまざまなロックのスタイルが生まれました。
当時イギリスでは、ブルースなどアメリカの黒人音楽への憧れと崇拝の機運が高まり、それに合わせるようにEddie Boyd、Champion Jack Dupreeなど多くのブルース・マンが渡英、イギリスのミュージシャンと共演しました。そして、たくさんのブルース・ロックバンドが誕生しました。Freeもその中の1つです。
Freeは、平均年齢20歳の4人メンバーで1969年にデビュー。1971年、72年には来日し、当時日本でも人気があったバンドです。ボーカルのPaul Rodgersは、とてもソウルフルでロック界最高のボーカリストの一人と言われています。Free解散後は、ドラムのSimon KirkeとともにBad Companyを結成、その後Freddie Mercuryの後釜としてQueenにも参加しています。
ロック少年は、Freeの特にギターのPaul Kossoffに惚れ込んでしまいました。 速弾きではなく、むしろ音数は少ない。リズム感はあまり良くなく、上手いか下手かというと多分下手なんでしょう。しかし、まるで魂の叫びのようにギターが泣いています。Freddie Kingばりにチョーキングとビブラート奏法を多用します。ビブラート奏法は、ギターの神様Eric Claptonが教わりに来たほどです。
泣きのギターで分かりやすい曲は、昨年のソチオリンピックで羽生結弦選手がプログラムで用いたGary Mooreの「パリの散歩道」です。キュイーンという長いチョーキングを聴くことができます。
Freeは、7枚のアルバムを残し、3枚目のFire and Waterがイギリスチャート2位を記録するも、Paul Kossoffの薬物問題などで3年で解散しました。
諸説ありますが、あれだけ個性的で魅力的な演奏ができたにもかかわらず、同時期に活躍していたPeter GreenやEric Claptonと比較し、自信を失い薬物の量が増えていったようです。また、ヒットした3枚目のあと、渾身の4枚目が不評であったことも原因とされています。1、2枚目はブルースを基調としたゴリゴリしたアルバムでしたが、3枚目以降、ヒットを意識したアメリカン・ロックに次第に変わり、ブルースギターの出番が少なくなっていきました。
そして、 追い打ちをかけるようにFreeが解散し、さらにヘロインなどの薬物にのめり込んでいきました。”きめた”状態でステージにあがったり、ライブがキャンセルになったりを繰り返していました。そんな中、1973年にソロアルバムBack Street Crawlerを発表します。当時のガールフレンドが撮った写真が表紙になっています。
1975年に、再起をかけてソロアルバムと同名のバンドBack Street Crawlerを結成します。しかし、薬物の問題は深刻で、同年には心停止となり入院治療を受けています。奇跡的に復帰するも、1976年3月、飛行機の中で急逝しました。25歳でした。
既に録音を終え、同年発表予定であった最後のアルバム2nd Streetの裏表紙には「Dedicated to Koss」(Paul Kossoffに捧げる)と書かれています。最後の収録曲Leaves in the windは泣きのギター全開です。実際のライブをみてみたかったなと思います。
Freeを知って30年以上になりますが、今だに飽きることなく聴いています。 今では、イギリス在住のFreeファンとも友達になり、日本の音楽雑誌を送ったり、CDを送ってもらったりしています。
生前彼が、自分の音楽が後世でどのような評価を受けるのかなど知る由もなかったでしょうが、The Beatlesにしても世代を超えて、しかもいろいろな国で聴き続けられているなんてすごいことです。
ほんと、音楽っていいですね・・・