アルコール依存症:「日刊スポーツ」のコメントの捕捉
2018年04月29日
こんにちは。
4月27日の「日刊スポーツ」に、あるニュースについての私のコメントが掲載されました。
これについて、少し補足いたします。
まず、診断についてです。彼は、私が診察した患者さんではありません。情報も不十分ですし偏っている可能性もあります。「もしかすると」と考えるところはありますが、専門医として顔をみて診察もせず何らかの病気だと診断するのは控えたいと思います。
TVやネットの報道をみるとどれも厳しいものばかりです。
「完全なアルコール依存症」「認識が甘過ぎる」「意思が弱い」「酒にだらしない」「またメンバーとして復帰したいと語るなんてあり得ない」等々。
こうした意見を聞いていて、懸念していることがあります。それは、彼がアルコール依存症かどうかは別として、アルコール依存症への誤解や、「アルコール依存症は精神疾患である」ことを知らない方が多いのではないかとということです。
アルコール依存症の診断基準に、「精神的、身体的、社会的な障害があるにもかかわらず、飲酒がやめられない」とあります。つまり、適正飲酒(程々に飲む、酒とうまく付き合うこと)ができない、自分では酒をコントロールできないという「症状」です。それは、「意思が弱い」とか「酒にだらしない」ということとは違います。
「意思が弱い」人間だとすれば、幼い頃から社会生活全てが破綻しているはずで、仕事ができるはずもありません。私が診察してきたアルコール依存症の患者さんは、真面目に社会生活を送っておられた方ばかりです。
アルコール依存症は、アルコールを一定量一定期間摂取することによって、誰でもなりうる疾患です。接待で週に何日も飲酒したり、うつ病、不眠、あがり症を緩和するために飲酒したり、気分転換が苦手でストレス解消ために飲んだり。これを続けているうちに、脳がアルコールに順応しやがて依存が形成されます。一旦、依存が形成されると消えることはありません。10年間断酒しても、1杯飲めば再び連続飲酒に陥ってしまいます。真面目な性格で一生懸命仕事に取り組んできた人でさえも、アルコール依存症になると、アルコールに支配され、生活が破綻してしまいます。
このように、アルコール依存症は誰でもなりうる精神疾患で、適正飲酒に心掛ける必要があることを多くの方に理解していただきたいと思います。
では、どのようにして治療するのか。
アルコール依存症の治療の最初のステップは、自分の飲み方が「問題飲酒」であることを自覚することです。どれだけ自分の精神や身体を痛めつけ、どれだけ周囲を巻き込んで迷惑をかけるような飲み方をしてきたかを知る必要があります。
「程々に飲む」「酒とうまく付き合う」ことはできません。治療の目標は、節酒ではなく「断酒」です。
本人の断酒を決心しなければなりません。本人が酒をやめる意思がない、つまり治療の意思のない人を治すことはできません。家族が無理矢理受診させたり、入院させたりしても、本人に治療の意思がなければ全く効果はありません。
「問題飲酒を自覚」し「断酒を決心」するためには、きっかけとなる痛い目をしなければならないこともあります。いわゆる「底つき体験」です。生命にかかわる程の臓器障害、事件や事故に巻き込まれる、仕事、社会的地位、財産、友人、家族を失うなど。それが想像できなかったはずはない。それでもコントロールできない、本当に恐ろしい病気です。だからといって、もし何か事件や事故を起こしても、「症状」だから仕方ないと擁護される訳ではありません。
自分はもはや酒をコントロールできない、「酒の前では無力」であることをこと自覚し、「自分流を捨て」「自分に従わない」ことです。それはまさしくキリスト教徒が「神に委ねる」と祈りを捧げることと同じです。専門医、治療薬、断酒会などの自助グループなど様々な方法やたくさんの人の助けを借りる必要があります。
私は、彼の出演している番組をいつも楽しみに観ていました。人に夢を与え、「だらしない」「意思が弱い」人だったら決してできないような素晴らしい仕事をしていたと思います。ですから、今回のことはとても残念です。
誠意をもって償ったとしても、失った信用を回復するためには、かなりの時間が必要です。こころや身体が回復し、信用の回復は一番最後になるでしょう。
彼に対する厳しい見方は当分続くでしょうし、絶対に許さないという人もいるでしょう。それは仕方ないことですが、これによって彼が問題に気づき、古い自分を捨て新しく生まれ変わるために必要なきっかけとなりエネルギーとなることを望んでいます。