千代田区 御茶ノ水 神田 小川町の心療内科・精神科 駿河台こころのクリニック 怒りのコントロールに挑戦(1)

03-3257-5678
怒りのコントロールに挑戦(1)

駿河台こころのクリニックのブログ

怒りのコントロールに挑戦(1)

2015年02月05日

こんにちは。
毎日平穏に過ごせると良いのですが、なかなかそうはいかないものですね。
自分は普通にしているつもりでも、職場で上司に理不尽なことを言われたり、道で誰かとすれ違う時にドンとぶつかったり、店で注文したものと違うものが届いたり・・・中には、自分には直接関係ないこと、例えば赤信号なのに道を横断している人をみてイライラする人もいると思います。

今日は、「怒り」のコントロールについて、以前使用していた「怒りのコントロール・トレーニング」というテキストを参考にお話します。

喜怒哀楽というくらいですし、「怒る」ことは正常な感情の1つです。ですが、怒った後にすぐ「攻撃的行動」を起こすのは問題です。攻撃的行動とは、暴言を吐く、暴力を振るう、物を壊すことです。ですから、怒りの感情を持ったとしても、攻撃的行動に移さないようにコントロールをする必要があります。

では、怒りの原因は何でしょうか?
「自分はちゃんとしているのに、あいつがあんなことをするから」と、相手や自分以外の何かの責任と考えることが多いと思います。しかし、同じ状況でも、すべての人が同じ反応をするとは限りません。ひどいことをされても、全く気にしない人も中にはいるのです。同じ出来事、状況に対する反応の違いはどこからくるのでしょうか?

私たちは、親からの教育や現在までに経験したことから、いろいろなことを学習し、信念、つまり自分の価値観のもととなるルールが植えつけられます。例えば、
①人間はみな平等であるべきだ。
②男は強くたくましくなければならない。
③自分は常に人から認められるはずだ。
④問題は、放っておけばそのうち解決するだろう。
⑤みんなルールを守るべきだ。 などです。

自分の中にあるこれらの信念から外れた出来事があると、怒りが生じます。例えば、①を強く思っている人は、コップに注がれたお茶が自分だけ少ないことに怒りを感じ、⑤に強いこだわりを持っている人は、交通ルールを守らない人に腹を立てます。
③のように、誤った信念もありますが、①や⑤などは、特に間違ったものではありません。①のように、皆が平等な暮らしができれば良いと思います。しかし、実際はそうではありませんし、おそらく不可能なことです。このように、間違ってはいないけれども、そのことにとらわれ過ぎると怒りにつながってしまいます。

自分はいろいろなことで怒りを感じやすいという方は、自分に備わった信念を洗い出してみると良いと思います。

また、怒りの感情に続く攻撃的行動は、表現方法の1つであり、また何かを守ろうとする手段の1つという役割があります。自分が不満に感じていることがあると伝えたい、それから、ライオンから身を守るためにゾウが威嚇するように、自分が大切にしているものや弱い部分を攻撃されないように守っているのです。

攻撃的行動が表現方法1つであるとすれば、言葉を用いたコミュニケーション・スキルを身につける必要があります。

さらに、自分の中の何を守ろうとしているのか、について考えてみる必要があります。怒りを感じやすい方の中には、自己評価が低く、自分に自信がないという方も少なくありません。そのような背景があると、何かで少し注意を受けただけで、「自分のことを馬鹿にしているのか」と感じ、怒ってしまいます。自信を失ったのはなぜか、自己評価を下げるような信念を持っていないかということに焦点をあてることも、怒りのコントロールの1つです。

繰り返しになりますが、怒りの感情を持つことは普通のことですが、それに続く攻撃的な行動が問題です。職場や家庭での立場を悪くしたり、それが飲酒の引き金になってしまうことがあるからです。

「あいつがあんなことをするから」「あんなことがなかったら」・・・自分の周囲に怒りの原因があると思いがちです。しかし、それは単なるきっかけに過ぎず、怒りやそれに続く非生産的な行動に発展させるのは、自分の中の信念が大きく影響しているのです。

信念から始まる負の連鎖とその対処については、後日お話します。

☆お友達とおでかけしました☆
☆お友達とおでかけしました☆

自分を変えるきっかけ

2015年02月04日

こんにちは。
何かうまくいかない、いつも同じ失敗をしてしまう、誰かに受け入れられない・・・そんなことがあると、自分に嫌気がさし、自分を変えたいと思うものです。ところが、ほとんどの人は、幼少期からのいろいろな経験などをもとに、信念(思い込み、考え方のルール)が作られ、自分自身の思考や行動のパターンがしっかり身についています。そして、パターンが変わることや変えることに不安・抵抗を感じます。

「アルコール依存症」というこころの病があります。この病は、「底つき」と「スリップ」を繰り返すと言われています。底つきとは、断酒のきっかけになるような痛い目にあうということです。そして、スリップとはそれまで酒をやめていたのに再飲酒することです。つまり、何か痛い目にあって断酒の決心をしたものの、しばらくして再び飲酒をはじめ、また何かをきっかけに断酒する、これを繰り返すというものです。

アルコール依存症の治療の第一歩は、自分が「問題飲酒をしている(酒で問題を起こしている)ことに気づく」ことです。それに気づけても、「やめられる訳がない、人づき合いには欠かせない」などと言い訳や開き直りをして、なかなか「酒をやめる決心」にまで至りません。
そこで、「酒をやめる」つまり「それまでの自分を変えていく」決心をするきっかけになるのが、「底つき体験」です。

いろいろな「底つき体験」があります。
これ以上飲むと死んでしまうぞと医師に宣告される、居酒屋で飲んだ帰りに交通事故にあう、夜深酒をして遅刻を繰り返し会社をクビになる、酒を飲んで暴れ警察沙汰となる、酒中心の生活となり家族離散する・・・

一般に、「酒がやめられないのは、意志が弱いだけだ」と思われがちですが、そうではありません。
誰でも、生活の中でストレスを感じます。そして、旅行に行く、読書する、友人に相談するなどストレスの解消をしてバランスをとっています。それと同じように、ストレス解消のための飲酒から依存症に発展するケースも少なくありません。また、酒が飲める体質の方であれば、その人の意志や人間性とは無関係に、誰でもアルコール依存症になり得るからです。

生真面目でストレスを真正面から受けながら働き、一方で趣味といった趣味もなく家に帰って酒を飲むだけ・・・そのような人を見るたび、どうにかしてもっとスマートに生きて欲しいと思ってしまいます。

上手に無駄なく生きられれば良いのですが、誰でも辛い経験をしないと自分を変えようと決心したり、それを実行したりできないものです。そして、気がついた時には、取り返しのつかない状況になっていることも多いのです。

「酒はやめたけど、何もかも失った」・・・そうなる前に、早めにご相談ください。

ほねガムがお気に入り
ほねガムがお気に入り

「良い子」は良いこと?

2015年02月02日

こんにちは。
このところ、耳を疑うような事件や犯罪についての報道が後を絶ちません。そして、未成年者が関係したものも少なくありません。かつての同級生や、近所の方がインタビューで、「あまり目立たないおとなしいタイプだった」「いつも挨拶をしてくれる、良い子でした」と答えています。
今日は、この「良い子」について考えてみます。

まず、「良い子である」とは自分自身の評価ではなく、他者からの評価によるものだということです。親の立場で我が子をみた時に、「親の言うことをよくきく」「文句やわがままを言わない」「家の手伝いをしてくれる」「学校の成績が良い」と、「良い子」だと思うでしょう。
私は、「良い子」という言葉を聞くたびに、「良い子を演じなければならなかった、良い子にしている必要があった」のではないかと心配してしまいます。

子供は、生まれてから(少なくとも独立するまでは)食事ひとつにしても親に依存してあるいは支配されて生きています。ですから、子供にとって親に認めてもらうこと、良い評価を受けることは、とても大切なことです。
単に躾が厳しいだけでなく、特にDVもある、両親の喧嘩が絶えない、親がアルコール依存症などを抱え経済的、情緒的に不安定であるなど、いわゆる機能不全家庭のなかで育つと、「良い子にしなければ」という気持ちはより強いものになるでしょう。つまり、どんな家庭であれその家庭の「良い子」の評価基準に自分を当てはめ、そこで生きていく方法を身につけようとします。
その結果、常に人目を気にしたり、自分の感情を抑えて人の言いなりになったり、おとなしく、自己表現が苦手になったり、自己主張のために何らかの事件などを起こすなどさまざまなタイプに成長していきます。これらは、「アダルトチルドレン」と呼ばれます。
先ほど、機能不全家庭の極端な例をあげましたが、冷え切った家庭、不安定な親を子供が支えなければならない状況など、一見表立った問題がなさそうにみえる家庭でも、子供は敏感にその環境に適応する方法を探しています。

「良い子」に疲れ果て、当院など心療内科を受診される方も少なくありません。「三つ子の魂百まで」といいます。幼い頃に身についた思考や自己表現のパターンを変えていくのはたいへんなことです。しかし是非、「良い子」であることを捨て、親の期待や評価ではなく自分のための価値観、「自分らしさ」を取り戻して欲しいと思います。

「良い子」にみえますが、毎日いたずらばかりしています。
「良い子」にみえますが、毎日いたずらばかりしています。