夢のコラボ・・・
2015年06月02日
こんにちは。
中学時代、音楽、特にロックに目覚めたというお話をしました。
しかし、実はもう1つ追っかけていた路線がありました。
それは、太田裕美さんです。
昭和49年「雨だれ」でデビュー、「木綿のハンカチーフ」が100万枚を超える大ヒットとなりました。他にも、「失恋魔術師」「九月の雨」などがヒット。シングルカットされなかった曲の中にも素敵なものが多く、特に松本隆と筒美京平の最強コンビによって作られた数々の名曲があります。
最初は、TVの歌謡番組でたまに観る程度でした。その後、従兄にレコードを借りてから大ファンになりました。
高校時代、学校を休んで、ひとり新幹線に乗り京都までコンサートを観に行ったこともあります。
夜7時から開演なのに、午前中に京都に到着。
楽屋入りする時に、サインをもらうつもりでした。
その前日発売されたレコードを片手に、京都会館の楽屋入り口前で待っていました。
午後2時頃、ついにサングラスをかけた太田裕美さん登場です。
(私)あの~サインもらえますか?
(裕美さん)お名前は?
(私)宮武・・・
(裕美さん)下のお名前は?
(私)えっと・・・(汗)
(裕美さん)じゃあ、宮武くんでいいね。
緊張のあまり、名前が出てきませんでした。(↓)
あれから30数年経ちました・・・
湧永製薬株式会社様発行の小冊子の原稿依頼がありました。
院外薬局にて無料配布されるそうです。
先日、出来上がったものをいただいてビックリ!
なんと、同じ号の巻頭インタビューが裕美さんではありませんか!
こんな偶然ってあるんですね・・・夢のコラボです。
裕美さん、お互い少し歳をとりましたが、頑張っていきましょう・・・
☆大暴れできるようになりました☆
スピリチュアルケアについて(3)
2015年05月29日
こんにちは。
今回は、スピリチュアルケアの続きです。
前々回、3つのスピリチュアルペインについてお話ししました。
(1)時間存在:将来を失うことからくる、生きることの無意味さ、目的が持てないこと。
(2)関係存在:人から認められたり、人に何かしてあげることで保たれていた自尊心や自分の役割が、他者との関係を失うことで、失われてしまうこと。
(3)自律存在:自分で食事をしたりトイレに行けない、人の世話にならなければならないのなら、生きていても仕方ないと感じること。
この3つの苦痛に対するケアについてみてみます。
死を迎えることで、自分の時間が途切れてしまう、将来がないことに対するケアです。
本当に難しいことです。
再生医療などが発展し不死身の身体を手に入れる以外に不可能な気もします。
でも何かできることを探すしかありません。
1つは、宗教的な考え方です。特別、○○教が良い、敬虔な信者になりましょうというものではありません。
「天国に行けば、あの人に会える」「そこでまた、楽しく過ごしたい・・・」
とても自然な気持ちだと思います。
不幸に見舞われると「神様なんていない」と思ったり、「なんでも自分の力で切り抜けてきた」と自信満々に生きてきた人も、こんな希望をもって安らかな最期を迎えられたらと思います。
「天国から、家族のことを見守っているから」「自分のことを忘れないでいて欲しい・・・」
これは、次にお話しする関係性にも関わることだと思います。
かつて、残りの時間を「形見分け」に費やそうとした方を受け持ちました。おそらく、このような気持ちとせめてもの恩返しという気持だったのでしょう。
「やり残したことがある、やり遂げるのには後1年はかかる」
目標を長期的なものから1週間、1日と短くしてはどうでしょうか。
死を迎えることで、人との関係が途切れてしまうことの辛さです。
死を迎えるにあたり、孤独感、悲しみのあまり「自分の人生は何も良いことがなかった」と全てを否定的に感じてしまうことがあります。
しかし、人それぞれに、楽しい生活、素敵な人との出会い、一生懸命に打ち込んだ仕事などがあったはずです。学生時代、社会人になってから、結婚してから、退職してから、時間を区切って、頑張ったこと、楽しかったこと、嬉しかったことをいろいろ思い出してみてください。
「思い出話に花を咲かせる」ことで、いろんなことに気がつくでしょう。
自分で自分のことができなくなることからくる辛さです。
「毎日の散歩が楽しみだったのに、歩けなくなって・・・」
歩けないのは辛いですが、杖や車椅子を使ってでも外の空気を吸ってみるのはどうでしょう。
「人の世話になってばかりで、何もしてあげられない」
何かをしなくても、そこにいるだけで誰かの支えになることができます。
これは、ご本人ご家族、お互いに当てはまることだと思います。
3つのスピリチュアルペインに対するケアの概略をお話ししました。
誰かに何かをしてあげる、助けになろうとすることは難しいことです。
ケアの目標をたてる時に、それが本当にその人の望むことなのか、実はそうすることで自己満足や自分の安心感を得るだけになっていないかを見極める必要があります。
明日はちょうど「あの世でもう一度あいたい」と思う人の命日でした・・・
白衣の力
2015年05月28日
こんにちは。
スピリチュアルケアの続きは、次回にします。
診察の時は、いつも白衣を着ています。
「馬子にも衣裳」という言葉がありますが、白衣を着るとそれっぽく(?)見えるものです。
以前、勤務していた病院での話です。
そこでも、白衣を着て仕事をしていました。
廊下などで、患者さんや職員さんとすれ違う時、皆さん「先生こんにちは」と挨拶をしてくれます。
ある日のこと、その日は土曜日で仕事は休みでしたが、用があり職場に行きました。診察はないので普段着のまま、院内をうろうろしていました。
いつものように廊下で患者さんなどにすれ違うのですが、誰も挨拶してくれません。
こちらから「こんにちは」と言って、数秒たってから「ああ先生だったんですね」と気づくような感じでした。
白衣を着ていなかったからなんです。
人は、人物や物をその一部の特徴だけで認識しているところがあるようです。
丸い眼鏡をかけているから○○さんだとか、赤色の車は○○さんのものだとか。
白衣も同じで、白衣を着ているから先生だと認識しているのです。
別の日のことです。
入院して間もない患者さんが、血相を変えてナースステーションに駆け込んできて言いました。
「病室に白衣を着た患者さんがいます!」
慌てて病室に行ってみると、そこにいたのは同僚の医師でした。
彼は患者さんにもとても優しい人気の先生ですが、格好も口調もとてもラフで、その日もいつものように普段着に白衣を引っ掛け、病室で診察をしていました。
その患者さんが、白衣にだまされない注意深さを持っていたと考えるべきなのか、彼が白衣ではごまかしきれない何らかのオーラを放っていたからなのか・・・どうしてでしょう?
さあ、今日も白衣の力をお借りしつつ仕事を頑張ります。
☆手術よく頑張りました。早く元気になってね☆